2011.04.15

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第16回「東日本大震災と敗戦(下)」

 少し長くなるが「原発」に関して記しておく。愚老は昔から「原発黙認派」できた。団塊世代にははじめて観た映画が『第五福竜丸』という人間が少なくない。小学校で全員で観に行ったからだ。日教組の教諭に戦後民主主義と「核アレルギー」の教育も受けた世代である。そして長じて「反核」の欺瞞を知る。原水禁、原水協の分裂以降、この国の「反核運動」はイデオロギーという「正義信仰」で堕落した。少年はそこに生理的な嫌悪感を感じた。かって中上健次は「原爆作家」の林京子を「原爆ファシスト」と呼んで世の糾弾を受けた。反核は理屈抜きに「正義」だったのだ。原発推進派と反対派の間には正と邪の不毛な二元論ばかりが半世紀もつづいた。原発は電気を作る科学技術のプラントである。安全性の検証はあってもイデオロギーとは無縁なはずである。そんな常識が通用しなかったのは唯一の被爆国といういびつな「被害者心理」もあった。国は原発推進を国策として決定し建設地の行政や東大原子力工学科の「御用学者」を補助金というアメで取り込み「絶対安全神話」を形成していく。いまテレビにでてくる「専門家」はすべて御用学者である。議論の成り立たない不毛な蛸壺が「原子力村」という虚妄である。もう四〇年ほど前になるが昭和四〇年代の後半、青森六ヶ所村でむつ小川原開発が始まった頃、取材に行って魂消た。いまは使用済み核燃料再処理工場などが集結するいわゆる「核のゴミ捨て場」(不思議なことにいつまでたっても本稼働しない)だが、当初からその計画だったのだろうか、記憶は霞んでいる。何もない風の強い荒涼とした土地だった。そこに用地買収と漁業補償の国のカネが天から降ってきた。そこで見たのはいくつかのプレハブ造りの「キャバレー」で一万円札をホステスにバラ巻くグロテスクな狂瀾だった。万札で洟をかんでポイと捨てたオヤジもいた。海を棄てた漁民の正視に耐えない醜態を見た。人心などあっという間に荒廃することを知った。バブルの二〇年も前の話だ。四、五年前に六ヶ所村を通ったときいくつものゴテゴテと飾り立てたキンピカ「核御殿」を見たが、その醜悪さは変わらない。何を得て何を失ったのか。原発に常につきまとう疑問の原体験となった。
 2011年4月15日掲載。この記事の続きを見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ


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2011.04.14

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第15回「東日本大震災と敗戦(上)」

 退屈な、しかし果てしなくつづくものと疑いもしなかった昨日までの「日常」が圧倒的な自然災害によって暴力的に断ち切られた。バブル以降「失われた二〇年」のだらだらとした、それでも強固だった日常という連続性が一瞬にして「非日常」に一変した。昨日までの時間は目の前でぷっつりと消えた。テレビ画面に映し出されるパニック映画のような「現実」に失語した。文字どおり言葉を失ったのだ。唖然、興奮、放心、失意、怒り、不安、恐怖という生の感情に言の葉が届かない。ただ得体の知れない無力感と喪失感だけが重い空気のように身をつつんでいる。たれしも傍観者でいることはできない。「3・11」からひと月を過ぎて、ようやく漠とした「天然の無常」を見つめる老爺が、ぽつねんといる。いまはただ頭を垂れて膝を屈し沈痛のまなざしで、この不条理に向き合うしかあるまい。書くことに意味はない。まして「有事」のいまは与太記事を書く場合でもない。それでも生者の傲慢は今日も日々の飯を喰らい「震災後」という新しい時代の時間に流されて生存をつづける。このちっぽけな暮らしは少し質を変えてつづいている。不謹慎の誹りを甘受してもう少し連載をつづける。「3・11」は敗戦の申し子である団塊世代の愚老には遅れて来た「八月十五日」の宿命的な追体験のように思われてならなかった。その前日、三月十日は東京大空襲の記念日だった。日露戦争奉天会戦、戦勝の日「陸軍記念日」である。その日の未明から帝都の下町はB29の焼夷弾で焼きつくされた。「川向う」の葛飾にはほとんど爆弾は落ちなかったから、少年の頃「夕焼けのように真っ赤に照り映える夜空がきれいだった」という大人の話をよく聞いた。地震と津波で何もかも壊され流された荒涼とした風景を、みちのく太平洋岸の「焦土」に見た。肉親の命と住居、職場、生活のすべてを失った罹災者たちの呆然とした姿を見た。そこにあった町さえも跡形もなく消え失せたのだ。その地は再び多くの「いのち」を奪い去った。みちのくは平安の昔、坂上田村麻呂の蝦夷征伐以来、いくさに勝ったことのない土地である。古い記録では貞観地震津波以来、三陸は数十年に一度の大津波に幾度となく襲われ大きな被害を出してきた。今回は明治三陸、昭和三陸と百十五年の間に三度目の大津波である。これを「想定外」とはいわない。統計的には「予想どおり」の災害である。それでも人は昔から大自然の前には無力な存在であることに変わりはなかった。みちのくには夏場にオホーツクからの北風、山背が吹く。その寒風は冷害の「飢饉」をもたらす。一方で「日照リノ夏」は旱魃で田畑は実らない。冬の寒さも厳しい。東北は近代までどの地方よりも「餓死」と背中合わせの過酷な風土だった。つい六、七〇年前までみちのくでは間引きも、娘の身売りもあった。石原莞爾の満洲建国の夢も、二・二六事件の青年将校の憂国もその端は飢饉による東北の疲弊にあったのではなかったか。そういえば地震で東京の最初の死者はあの「戒厳令司令部」(九段会館)で出た。深沢七郎は『東北の神武たち』でその風土を神話的民話として書いている。だから宮沢賢治は「雨ニモ負ケズ」と唱えるしかなかったのだ。農村社会運動だけでは救われない。村の「宗教者」にならざるを得なかったのはその自然の過酷さにある。みちのくの人間ほど自然を畏怖し、自然に忍従する「耐える民」はいない。いま少しくこころ安らぐのは被災地にボランティアという名の多くの宮沢賢治をみるからである。そこには寺田寅彦が『日本人の自然観』で書いた「天然の無常」という身に染みついた生きる「かなしみ」が連綿としてある。戦後は集団就職と冬場の出稼ぎで首都の経済成長を支える名もなき「地上の星」(中島みゆき)となった人々は東北からやって来た。だから老耄剥き出しの首都の知事の「天罰」発言はいくら撤回してみせても許せないのである。この傘寿にならんとする耄碌老人の世迷言には黙っていられないのである。一つ覚えの「物欲、金銭欲、性欲だけの日本人」に対する「天罰」だと思うなら、きっと首都直下型大震災が近い将来来ることになるのだろう。その前に放射能の「死の灰」が降るかもしれない。都民の不幸はこんな「裸の王様」を首長に戴くことだ。今回の選挙で致命的だったのは対立候補が全員ホーマツという悲喜劇さある。ついでに言えば三十年程の雑誌記者生活で、その傲岸不遜に殴りかかりたくなったのは青嵐会時代の石原とJC会長だった麻生太郎だけである。
2011年4月13日掲載。この記事の続きを見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ


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2011.03.08

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第14回「取材記者をはじめた頃の思い出」

東信濃では渓流釣りが解禁になった。その前日に「かみゆき」が降って三〇糎近い積雪となった。東の川上から降る雪、太平洋の低気圧がもたらす湿雪は早い春の兆しのボタ雪である。春を待ちわびる心持ちは雪国や寒冷地に暮らしてはじめて分かる。老人には冬眠から目覚める日も遠くない。里山では早春の使者である福寿草も咲いたらしい。新聞で目黒の老夫婦殺傷事件の報道を見てある種の感慨に襲われた。人並みに仄聞はしていたがこの国の、特に都会の防犯カメラ網はかなり充実していたらしい。いつの間にか英国並みの「監視社会」が出来上がっていたようだ。犯人は同世代の団塊老人だった。高速バスに本名で乗るあたりの間抜けさに昭和の感性が窺える。それにしてもこの事件がカネ目当ての行きずりの犯行とは、昔の事件取材者の感覚からは大きな違和がある。昭和のアナロジカルな常識では、あれは「依頼殺人」とみて平仄が合うのである。きっと盆暗な老人はこうして時代から取り残されていくのだろう。四半世紀ほど前の話だ。都会の主要道路に「Nシステム」というカメラ監視装置が導入された。以前からあった「オービス」などのスピード違反取り締まりカメラの技術が進歩して、読みとったナンバープレートを瞬時にコンピューターに送るシステムである。「スゴい機械ができたんですよ」と教えてくれたのは亀有警察暑の交番勤務の巡査だった。地元で可愛がっていた若いオマワリだ。交番に「もうすぐ、こういうクルマが通るから停めろ」と、本庁の通信指令から指示が来る。大半は盗難車かクルマでの家出人だったらしい。発見された方は「どうして判ったんですか?」と不思議がった。まだ葛飾区内の水戸街道にも二、三台しか設置されていなかった。早速、警察庁の交通部だったかに取材をかけた。「捜査のためにも公にしたくない。書かないでもらいたい」と頭を下げてきた。「ぢゃ“貸し”にしておきますから、今後よろしく」。その準キャリには何度か被疑者の住所割りや前科照会で便宜を図ってもらった。厳密に言えば「国家公務員法違反」だろうが、義理や人情はこの国の文化である。「個人情報」などという欺瞞的な用語もなかった。プライバシーなどという概念もムラ社会では稀薄だった。そういえば昔はたれでも他人の戸籍を取ることができた。事由に「取材」と書き込めば役所は戸籍謄本の青焼きを出したのである。最初に規制をかけたのは「人権府政」の京都だったような気がする。革新府政、蜷川虎三の時代である。それが全国に広がり途端に取材が面倒になった。今回は取材記者をはじめた頃のことを記す。古き良き時代へのほろ苦くも甘美なノスタルジーである。
 2011年3月8日掲載。この記事の続きを見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2011.02.12

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第13回 大相撲八百長問題と三浦事件(続き)

 相変わらず冬眠のさなかにある。ひっそりと閑かな独りの日々だ。往ったことはないがまるで冥界の如くである。寂寥を掻き抱いた「日々是好日」と言ってもいい。半世紀ほど前までこの地方ではこの時節「農民美術」という農閑期の手仕事があった。大正デモクラシーの人、山本鼎が窮乏する百姓の生計安定のために伝導した。範はトルストイの「農民学校」に倣った。それが廃れたのは高度成長という時代の荒波が「出稼ぎ労働者」を都会に誘引したからである。信州に都落ちしたばかりの頃、愚生も村の公民館で木彫のレリーフを教わった。蕎麦打ちにも挑戦した。ところが不器用なのは脳髄だけではないと知って即座に諦めた。都合よく百姓にはなれない。よくある「夢の田舎暮らし」「人生の楽園」の蹉跌である。立春前後の数日、太平洋の高気圧が張り出して久々に寒気が緩んだ。アジア・モンスーンの国土気象にはやはり陰暦が似つかわしい。一年は二十四節気でメリハリを保ちたい。調べたわけではないが、今年は一月睦月が閏月だったのではないだろうか。前回の「三浦事件」のつづきを書く前に、このところ世情喧しい「大相撲八百長問題」について思い出したことを記す。昔は相撲を「国技」などとは呼ばなかった。国技は「柔道」と「剣道」しかないことはたれでも知っている。あれは法律で禁止されていなかったので日本相撲協会が勝手に言いだしたにすぎない。もともと相撲は古い歴史のある「神事」である。形式美を尊ぶ伝統芸能である。いまでも地方巡業の勧進元は大半その筋絡みである。興行だから仕方がない。昔は八百長などというヤボな言い方はしなかった。かっては「人情相撲」と言った。団塊世代には記憶にある大鵬と長期休場開けだった柏戸の全勝対決での「人情相撲」は語りぐさとして残っている。柏戸の「奇跡的復活」というカタルシスに観客は酔った。予定調和の「美談」だった。負けた大鵬は「さすが大横綱」と逆にリスペクトされたのである。そのうち時代が経って「ガチンコ原理主義者」の存在感が増してきた。「阿佐ヶ谷勢」の台頭がニューウェーブだった。かって騒がれた「若貴兄弟喧嘩」は清濁に関する伝統派と改革派の争いだったと愚老は勝手に思量している。人情相撲は原則「星の貸し借り」である。つまり相互扶助の精神である。対するガチンコは強食弱肉の市場原理主義である。協会は仕方なく「無気力相撲」と呼びならして問題化、表面化をうやむやにして頬被りを決め込んだ。多分、負け方もミエミエでヘタクソになったのだろう。そして角界の人情と美談の時代は実質的に終わったのだ。伝統がフェアネスに駆逐されたのだ。何という浅はかさだろうか、と老人は嘆く。
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2011.02.01

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第12回  三浦和義事件の思い出」

 相変わらず西太平洋の列島は冷え切っている。この国でもっとも内陸性乾燥気象の顕現する高原盆地はぽっかりと雲の穴があき快晴の日々がつづいている。最低気温も放射冷却のせいで氷点下二桁まで冷え込む。すっかりトートロジーが飽きられた貧困生活について、また前回も記したらしい。本人は何を書いたか記憶にない。惚けによる記憶失調も馴染んでしまえば日常に支障などない、悩ましくもない。日々が新鮮に保たれる分、何か得をしたような気分だ。素寒貧でも息災という名のハルシオン・デイズである。「お前の末枯れた暮らし向きに同情して寒中見舞いの義捐品を送る」 今週は「ロジ担」のような旧い友人ふたりから珈琲豆、煙草などチアーアップの差し入れがあった。ひとりは山岡である。ありがたいことだ。愚老は深謝に堪えない。冬の生活は擬似的にだが内省的になるので嫌いではない。〈寂寥だけが道連れ〉の日々に〈自由の意味が体で解るようになった〉と書いたのは「倚りかからず」の詩人、茨木のり子だった。この季節は〈独りを慎む〉(向田邦子)ことを想念して電気炬燵に逼塞する。自身の世界に調和する。ときにこんな「残日録」のような戯言を記す。こころの捨て場所はいまだ見つからないのだ。
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2011.01.23

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第11回 日本の価値~タイガーマスク現象~後藤忠正」

 正月以来、断続的に列島に居座る寒波が今年はことのほか厳しい。この数年、北半球は寒冷化しているという説を裏付けて、温暖化論者が大人しくなったのは歓迎する。IPCCもUNFCCCも不安を煽るインチキ商売のようで虫が好かない。世に誤謬を疑わないドグマチズムほど傍迷惑なものはない。それも「地球にやさしく」なんて莫迦気たことを平気で口にするエコ人種ほど最悪なものはない。佐久平も最高気温が氷点下の真冬日がつづく。大気は凛として澄み四辺冠雪の山稜は刃のようにエッジが鋭く美しい。とはいえ、冬の暮らしは寒貧老人には厳しい。終日電気炬燵にもぐり込み読書と惰眠、怠惰な「冬眠」と変わりのない生活である。ほとんど「寝たきり老人」の有様である。田舎にはぢっと堪え忍ぶしかない季節もある。関心事といえば高騰する野菜と灯油代ぐらいだ。まだ半分、正月ボケがつづいている。その間デイサービス施設でプール歩行のリハビリだけはつづけている。ときに「老人ヨガ教室」にも参加する。ここで腹式呼吸を鍛錬する。鶴のポーズで蹌踉めいても「断行・捨行・離行」について想念する。「断捨離」もまた老人の得意技である。いまのところ徒歩一〇分のスーパーまでは転倒もせず縒れずに歩いていける。ボケは順調に進行している。幻覚、幻聴には親和した。この与太記事も「それ、前に書いてますよ」という記憶の失調がままある。老人力も月並みについてきたのだ。いい塩梅にすがれてきているのである。老い先はみじかい。また今週の「うちよみ」から書く。久しぶりに正統派のハードボイルドを読んだ。マーク・ストレンジ『ボディブロー』。昨年のエドガー賞ペーパーバック賞受賞作。
2011年1月22日掲載。この記事の続きを見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2011.01.15

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第10回「読書三昧の正月」報告

 しばらく間が空いた。この数日、友人知己から生存に関する問い合わせが二、三あった。「孤独死」を心配しているらしい。昨年は牧田吉明も朝倉喬司さんもひっそりとひとりで死んだのだった。老残はしぶとくまだ生きていたので、取り敢えず遅ればせながら「謹賀新年」を奉祝しておく。すめらみことの弥栄を祈念する。また私的回想を擬した与太を書き連ねて老いの閑適に一興でも期したい。端迷惑行為とは思うが、いま暫しのおつき合いを。暮れにこのウェブサイトの主、山岡俊介が鬱惚け老人の様子見に来て、ありがたいことにカンパニアまで頂戴した。そのカネで大晦日の夕方、元日が休みのスーパーに行き「半額」シールの貼られた節料理、数の子、松前漬け、蒲鉾、伊達巻き、酢蛸、鰤の照り焼き、豪毅に栗きんとん入り「独居老人おせちセット」3千円(半額で1500円也)まで購った。その夜からそれらをパックのまま安アパートの万年炬燵上にずらり並べると、忽ちにして四畳半には祝祭的空間が立ち現れた。四辺に駘蕩とした春風さえ感じるのである。阿部勉さんから貰ったウールの安物アンサンブルに着替えて炬燵にもぐり込むと、そこいらに残っていた梅酒、ワイン、焼酎、バーボンをちびりちびりと飲るのであった。国営放送の「紅白歌合戦」も「行く年来る年」も昭和の風俗だから平成の御世には馴染まない。だからテレビは「鉄ちゃん番組」「車窓番組」ぐらいをときにつけておく。「あの世行き」の夜行鈍行旅の乗客のようでもある。呑みながら本を読む。そのうち字面が霞み酩酊と睡魔が襲ってくる。横臥する。惰眠を貪る。気がつくと寝台で朝だったり午だったりした。暦日は夢消した。長い酔いから醒めなかった。〈咳をしても一人〉(放哉)のしずかな正月である。
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2010.12.21

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第9回 もう一つの「フライデー襲撃事件」

 今年も残り僅かとなった。遠くシベリアから寒気が南下してくると標高七百米の高原平野は氷点下の世界である。枯れ野に吹く寒風は厳しい。わが人生もとうに白秋から玄冬素雪の色合いだ。老人に振り返るほどの日々などはないが、貧困が身に滲みた年ではあった。最初にその辺りを少し書く。何の役にも立たない極私的雑感である。「たずきの方便」ともいう老人の下らない私念である。思うにこの国の社会主義システムは意外に充実している。収入の手立てを失い預金も底をつき明日の喰い物に困れば安全網に引っ掛かり救いの手を差しのべてくれる。憲法二十五条によって国民は等しく健康で文化的な生活をおくる「生存権」が保障されている。本心ではもう生存などしたくない社会的に落伍した「生存不適格老人」にも国と自治体は「生活保障法」に拠る扶助を惜しまない。権利とはいえ多分、感謝しなくてはいけないのだろう。いまこの国の相対的貧困率は十五%を超えるという。社会階層の「下流」は増大し明らかに固定化しつつある。しかし敗戦後のような惨憺たる世相であっても、あの「みんなが貧乏だった」というある種の明るさはそこにはない。時代の風景は木枯らしの吹く荒涼茫漠に向かってとどまるところを知らないようだ。死んでこの身が消滅するまではこの世に生存する、というのは散文的な現実である。身も蓋もない恐ろしいまでの真実である。〈過去は水に流すまでもなく既に刹那的に消え失せている。世界は刹那滅的なのである〉
2010年12月20日掲載。この記事の続きを見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ



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2010.12.10

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第8回 「たけし軍団の『フライデー』編集部襲撃事件」

 北風がうなり白いものが舞う寒い日、炬燵に入って惰眠を貪っていたら、週刊誌時代の後輩から見舞いの電話があった。心身ともに不調がつづいている。このブログに書く与太記事にも思いが到らない。ついでだから「何かリクエストはないか?」と聞いてみた。「では、たけし事件なんかどうですか」。「あれはまったくノータッチ。書くほどのことは知らない」とは言ったものの、面倒くさいので多少思い出す記憶を記してみる。北野武とその軍団が「フライデー」編集部を襲撃した所謂「たけし事件」についての昔話だ。週刊誌のフリーランス記者は三十年やったが芸能取材はほとんどない。河原者の世界には疎い門外漢である。。頓珍漢なことを書いたらご寛恕願いたい。事件のあった昭和五十八年は前に書いた野村秋介さんの「石川カメラマン救出」の年だ。その前年には野村さんや人権派弁護士の遠藤誠さんたちと静岡の「一力一家問題」などをやった。だから日本青年社の衛藤豊久さんともすでに縁があった。承知のごとく、北野武がツービートという漫才コンビで売り出した頃、「毒ガス」と称した放送コードぎりぎりの毒舌、過激発言をめぐって日本青年社の抗議を受け窮地に立たされたことがあった。「君のように社会的に影響力のあるタレントが『赤信号みんなで渡れば恐くない』などという違法行為を助長するような反社会的発言をするのは問題だ!」ーーたしか、日本テレビなどに街宣をかけたのだった。「あれはシャレでして」なんて言い訳が通用しないから芸人も困っただろう。その頃、衛藤さんに「テレビの深夜番組のエロがいきすぎだ。何とかならないか」という相談のようなことを何度か受けた記憶がある。風紀の乱れは愚生本人が「風紀紊乱」そのもののようなヤサグレ記者だったから、そう言われても何とも答えようがなかった。たしかに時はバブル前夜、誰もが浮かれていた時代だった。
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2010.11.30

<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第7回 「JR東労組、前進社、タカラ」

 最低気温が氷点下に下がる白い朝が増えてきた、晩秋から初冬へ移ろう佐久平である。 里山の紅葉も街場の街路樹にいたり、気がつけば秋の逃げ足は速い。寒冷が老人の身を竦ませる季節になった。たしかに少ない生活費で暮らしを立てる楽しさはあるのだ。世間の「無用者」「不適者」「無能の人」になってみると、なぜか平穏に落ち着くからである。例によって灯油代の足しにまた贅言を記す。すがれた老人はまだらに惚けた記憶痕跡を逍遙して与太を捻り出す。これもまた凡愚の老獪とでも言っておこう。何度も書くが人生を降りた老人にも「たずきの方便」は少しく険しいのである。ときは昭和の終わり、国鉄が民営化しJR東労組ができてしばらくした頃だった。たしか東労の初代委員長は「菅野」といったように思う。老人の記憶には一緒に呑んで面白い話を聞かせてくれた「カンちゃん」として刻まれている。鉄労出身で東北訛の抜けない朴訥な好人物だった。勿論、たしか書記長に就任した松崎の傀儡、というよりも何の権限もない名前だけの委員長だった。旧鉄労の面子を立てたただの「お飾り」である。「東労の委員長はスナックのママを愛人にして組合費で毎晩店に入り浸り」というようなタレコミが「フライデー」にあった。恐らく対立する組合の嫌がらせだろう。ある夜、何食わぬ顔で客の振りをして蒲田だったか大井だったか、その店をのぞいてみた。
2010年11月30日掲載。この記事の続きを見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ


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