2008.05.15

<連載コラム>心声天語(16)信じることとは

昔、南米の村に岩山がありその岩山には、人間の顔に似た岩面が掘られていた。古来の人が掘ったのかそれとも、自然にできたのかは定かではなかった。村では、岩面の顔に似た人物が現れると村に幸運がもたらされるという「伝説」が言い伝えられてきた。しかし、村人たちは、「伝説」だとして誰も信じなかった◆ある日、ひとりの少年が岩山を眺めていた。この少年は、幼い頃から村に伝わる「岩山の伝説」を信じていた。いつかきっと、岩の顔に似た人物が村に現れることを信じて来る日も来る日も、岩を眺めにやってきた◆歳月は流れ、少年は青年になった。ある日のこと、いつものように岩山を眺めていた青年の周囲に村人が集まってきた。そして青年の顔を見て驚いた表情をした。そこで青年は『私の顔に何か……』と村人たちに尋ねた。村人たちは『貴方こそ岩山の顔の人です』と言った◆「夫婦は似てくるもの」という言葉がある。この青年も夫婦と同じく、小さい時から岩を眺め続けているうちに岩の顔に似てしまったのだろう…いや、もしかしたら、何かの意思が、伝説を信じ続ける少年の心に打たれ「村に幸運をもたらす人間」に少年を指名したのかもしれない◆人間は、知識や常識に基づく根拠で信じるか信じないかを判断する。しかし、この世には、人間の知識では図れない、量れない現象がいっぱいある。また、その時は信じられないことでも後日には、それが真実であったりすることも少なくない。本当の「信」とは、信じるに足る根拠や確証を求めることでも、心情にて調整するものでもない。「本当の信」とは、岩山の少年ではないが「願い」であり「祈り」なのである。(和光)
2008年5月15日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.05.12

<連載コラム>心声天語(15)サイゴン陥落の日  

一九七五年四月三十日、サイゴン市街地は北ベトナム軍に包囲され、陥落は時間の問題となった。数万人の民衆が迫り来る北ベトナム軍の恐怖から米大使館に押し寄せた。鉄条網のバリゲートで築かれ大使館前には武装した米軍が立ち塞がっていた。また避難民の輸送にも限界があった◆米当局は、サイゴン陥落に際して救出すべき対象者だけを大使館に入れた。政府要人、米国人家族、外国ジャーナリスト、米軍が雇用した現地民間人、などである。北ベトナム軍の戦車が大使館に迫った。その時、三十六名を乗せた最後のヘリコプターが大使館屋上から飛び立った。ヘリコプターの中に一人のベトナム少年がいた◆戦争で両親を亡くした少年は、8歳の頃から米大使館周辺で靴磨きをしていた。彼は、自分にやさしくしてくれる軍人のおじさんたちからは一切、金を受け取らずに靴を磨いてあげていた。幼くして両親を失ったことで人一倍、やさしさや情に飢えていたのだろう◆サイゴン陥落の日、群衆に押し潰されそうになっている少年を顔見知りの軍人が発見。軍人は、少年を急いで大使館の敷地内に入れたのであった。アメリカに渡った少年は、大学を卒業して弁護士になった。彼は『サイゴンに残された人たちのことを思うと今でも心が痛みます』と語っている◆少年の運命を変えたサイゴン陥落の日の、一瞬の偶然。しかしそれは、偶然ではないはず…人間の運命には目に見えない何かの、不思議な力が働いているような気がする。やさしさに報いるべく金を受け取らなかった少年の健気さが、彼の運命を変えてくれたように…。(和光)
2008年5月12日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.05.08

<連載コラム>心声天語(14)間抜けな泥棒

 アジア系情報誌に「間抜けな泥棒」という見出しの記事が載っていた。「間抜け」なる言葉につられ読んでみた。タイで起きた窃盗事件であった。バンコクに住む27歳の男が留守の女性宅に侵入して現金五万バーツ(約十六万円)と手紙の入った封筒を盗んだ。手紙には、『お母さん。二年間一生懸命働いたから手術代は心配しないでください』と記されてあった◆手紙を読んだ男は、盗んだ金がどういう性質のものかを知り二日間、盗んだ金に手をつけずにいた。結局、彼は封筒から2万バーツだけを抜き取り残りは、女性に戻してやろうと“もう一度”女性宅に侵入することにした。しかし今度は、近所の住民に見つかり捕まってしまった◆この男はプロの泥棒ではない。窃盗を働いたのも何かの、追い詰められた事情があってのことだろう。そして、女性が母親に宛てたであろう手紙を読んで良心が芽生え、盗んだ金を女性に返そうと犯行現場に戻った。勇気のいる行為である◆この事件をマスコミは、「間抜けな泥棒」との見出しで報じた。でも、この男は「間抜け」でもなんでもない。自分の要る金を抜き取ったことには限界を感じるも、盗んだ金の一部を被害者に返そうとしたことは、泥棒にあるまじき決心でもある◆悪いことをしても要領よくすれば「間抜け」と言われない。反対に、罪の呵責に駆られて良心に従わんとすれば間抜けとなってしまう。盗みをした男を庇うわけではないが、この男になぜか、同情が過ぎる。そして、彼を間抜けと笑っている社会こそ「間抜けな社会」のような気がしてならない。(和光)
2008年5月8日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.05.01

<連載コラム>心声天語(13)醜いアヒルの子

アンデルセン童話に「醜いアヒルの子」という話がある。アヒルの家族の中に黒いアヒルの一匹。家族たちに嫌われ苛められるアヒルの子は、どうして自分だけ嫌われるのかもしらないままに、家族たちに好かれようと健気な奮闘を繰り返す◆黒いアヒルの子が白鳥に変身した。それをみた家族たちは、アヒルでしかない自分たちの姿を恥じずにいられなかったはずだ。でもアヒルの子は、家族たちを見下すことはしなかった。白鳥になった喜びよりも、自分の本当の姿をわかってもらえたことがより、嬉しかったからである◆人間社会もアヒルの社会に似て、内面的な価値より“上辺の色”で判断され、取るに足りない物差しで謀られる。人格までが学歴や家柄で量られるに至っては、アヒルの社会以上の醜さかもしれない◆醜いアヒルの子の作者は、虐げられる苦しみがどんなに心痛むことかを知っている人物だったのだろう。それだけに、自分の境遇を恨まず、憎む心を持たず一生懸命に生きていけば、必ずや、白鳥になれる日がやってくることを世界の子どもたちに伝えたかったのだろう◆世の中には、醜いアヒルの子のような人たちがたくさんいる。そしてその多くが、偏見と差別の中でもがき続けている。しかし、白鳥に変身できる日がやって来ることを信じて堪え抜いてほしい。そうでなければ、偏見と差別に泣いた日々の、辛さや寂しさを喜びに変えることはできない。苦しさは辛さに、辛さは悔しさに、悔しさは寂しさに変わるというが、「希望」は寂しさを越えたところにあることを忘れないでほしい。(和光)
2008年5月1日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ


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2008.04.28

<連載コラム>心声天語(12)東西南北

ニュース(NEWS)の語源は、ノース(北)のN、イースト(東)のE、ウエスト(西)のW、サウス(南)のS、つまり「北東西南」から集まった情報…という説がある。また東洋では「東西南北」と東から始まるが、西洋では「北」を最初にもってくる。地図に北の方角を指す「N」が印されているのもそのためだ◆西洋が北を軸に据えたのは、遊牧民族たちの北極星信仰に由来する。彼ら遊牧民族たちにとって星は、方角を知る大切な道標であった。とくに、いつも同じ位置から自分たちを見守ってくれる北極星は、神の星、希望の星でもあった。星占いや星座の神話が西洋からきたのも頷ける◆農耕民族に属する日本人は、「お天道様」が昇る東を軸に据え、北を縁起の悪い方角としてきた。これは、西洋から入ってくる「北極星信仰」を拒絶した名残であろう。ところが、暗くて寂しい北のイメージは、演歌に似合いすぎだ。北の宿、北酒場、北国の春…「北」のつく歌は大ヒットする、とのジンクスさえある◆私の母は、私が三歳の時に他界し、京都にあるお墓で眠っている。東京からみると京都は「西」の方角だ。だからか、母に何か話しかけたい時には無意識のうちに、西の方角を向いてしまう。すると母も、私のいる東京の方を向いて「○○や、誰からも好かれる人間になるんだぞ。健康に気をつけて一生懸命に生きていくんだぞ!」との念にて励ましてくれていると信じている◆東と西から母子の情を託し合えるのも、「東西南北」という方角があるからだ。テレパシーは、方角と向き合うことで通じるという。誰かに願い伝えたい時には、その人がいる方角と向き合ったらいい。(和光)
 2008年4月28日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ


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2008.04.24

<連載コラム>心声天語(11)「ブスの定理」

 マスコミが事件を報じる際、見出しに「犯人は美人OL」「美人看護婦殺害」といった言葉をつける。事件までも「美人」の尺度が動員されるとは、呆れたことだ。無理もない。日本の読者や視聴者たちは、事件そのものよりも被害者や加害者の「美人度」に関心を注ぐ◆美人の反対が「ブス」。ブスは、トリカブトの根からとれる猛毒の名である。漢字で書くと「付子」となる。昔の人たちは、付子の毒が体内に入ると死に至ることから弓や槍先に塗って使用した。トリカブトの可憐な花から付子という毒…自然の巧みな細工・配慮に感心させられる◆「美しいバラにはトゲがある」という言葉がある。バラという美しい花にトゲという「負の部分」。キノコ類も、毒キノコは美しい色形をしている。毒が美しいものに施されているのは、美しいものに付随する悪い部分、マイナス部分、陰の部分を知らしめようとする警告かもしれない◆人間の欲望は、美しいもの、美味しいもの、楽しいものに目がない。しかし、美しいものには「付子」なる部分が存在し、人生でも良いことの後には必ず、悪いことが起きる。神が、トリカブトやバラといった美しいものに「付子」なる部分を施したのは、他でもなく、良い面しか見ないで突っ走ることにブレーキをかけさせようとする教訓なのである◆美しい女性でも愛嬌がないことで「ブス」、愛嬌があっても嘘つきだから「ブス」、真面目でもずるいから「ブス」…どこか一箇所でも心にひっかかる負の部分に気付き、そこに目を向けさせることで、美しさや欲望に惑わされないようにしたのだろう。(和光)
2008年4月24日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.04.17

<連載コラム>心声天語(9)光と闇

 世界的なベストセラー「神との対話」の中で、光が神に尋ねる一節がある。『神様、私の姿が見えません。私は一体、何者でしょうか』。光の質問に神は、『自分の姿が見たければ闇の世界に行ってごらん。そこに行けばお前が何者であるかわかるはずだ』と答えた◆光は闇の世界にいって初めて、自分が輝いていることを知ることができる。神は、光を愛するがために闇を創ったのだろう。闇の存在がなければ光の存在はありえない。闇は光と同じぐらい重要な存在でもある。すべては相対することで存在している。ところが今の時代、闇の部分がどんどん広がっている◆先進国では毎日、膨大な食物が捨てられる。その量は、地球上で餓死する全ての人間を救っても余りある。また、地球上で使われるエネルギーの80%は、地球上にいる20分の1にも満たない人間たちによって消費される。親子が殺しあい民族がいがみ合う世の中、どこを探しても光の存在を発見することはできない。無理もない。人間どもは、光の存在を気にもかけずして、ことさら闇を愛し続けている。闇の勢いをこのままにしておくと光さえも閉じ込める「ブラックホール」になってしまう◆そう遠くない日、今度は、闇が神様に『神様、私の姿が見えません』と尋ねるに違いない。すると神は、闇を創ったことを後悔しつつ『お前の存在は光なくしてあり得ない。ところがお前は、光を追い出してしまった。もはやお前は、自分の姿を永遠に見ることは出来ないだろう』と、すべての存在を無にしてしまうかもしれない。(和光)
2008年4月17日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.04.14

<連載コラム>心声天語(8)経済大国の虚しさ

今から46年前、ヨットで世界初の太平洋単独横断に成功した堀江謙一さんも、今年69歳になった。しかし彼は、今年の3月、新たな冒険に旅立った。今度は、波の力を動力とする波浪推進船での単独航海である◆1962年、西宮のヨットハーバーから全長5,8メートルのヨットに生存ギリギリの装備と120日分の食料を積んだ一人の青年が、アメリカに向けて旅立った。航海中、何度もシケにあい、胃液まで吐き出した。夜は、星に見守られている温もりで、寂しさを癒した◆日本を出てから94日後、青年を乗せたヨットはサンフランシスコ湾に到着、世界初の太平洋単独横断のニュースが世界中を駆け巡った。米大統領はメッセージを添えて滞在許可を出した。米国民は熱烈な歓迎を贈り、サンフランシスコ市とロサンゼルス市は名誉市民章を贈った◆日米情報にタイムラグがあった時代、サンフランシスコ日本領事館から一報を受けた日本政府は、「人命軽視の暴挙」との見解を発表、マスコミも政府に倣い「若者の無謀」と書きたてた。本来ならば、23歳の若者が命をかけて挑んだ冒険を真っ先に抱き締めてあげなければならなかったのは、他でもなく、祖国である日本だっただろうに…◆未知なる可能性に挑む勇気がどれほど価値ある行為かもしらずして、アメリカで英雄扱いになっていることで快挙に切り替えた日本政府やマスコミ。なさけないことだ。今日の文明は、未知なる可能性に挑んだ先駆者たちの、勇気と情熱によって築かれてきたこともしらないで、そこから得られる実りだけを取り入れ経済大国になった国に「冒険」の価値など、わかろうはずがない。(和光)
2008年4月14日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.04.10

<連載コラム>心声天語(7) 発明と工夫

 最近の世の中、最低限の矜持も倫理観も持ち合わせていない、同情の余地がないと思わずにはいられない事件や疑惑ばかり目立ち過ぎます。まったくというほど、「心潤うようなこと」に出会いません。そこで本紙では1週間に2回、コラムを始めました。今回は経済総合研究所が発表したアンケート調査によると、二十世紀におけるメイド・イン・ジャパンの第一位は「インスタント・ラーメン」、第二位が「カラオケ」だったことについて。この調査、二十歳以上の男女二千人を対象に《日本で発明され世界で愛された商品》について回答を求めたものだが……。
2008年4月10日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.04.07

<連載コラム>心声天語(6)米大統領選挙とヒラリー女史

 最近の世の中、最低限の矜持も倫理観も持ち合わせていない、同情の余地がないと思わずにはいられない事件や疑惑ばかり目立ち過ぎます。まったくというほど、「心潤うようなこと」に出会いません。そこで本紙ではこれから1週間に2回を目処に、このコラムを開始することにしました。第6回目は、これまでと趣が違いますが、米大統領選に出梅しているヒラリー女史を取り上げました。
2008年4月7日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.04.03

<連載コラム>心声天語(5)老いたストーカー

倉庫を片付けていた時、数年前の新聞が出てきた。そこに「ストーカー容疑で六十八歳の男逮捕」との記事が載っていた。男は、一週間の間に計八回にわたって会社員の女性(六十歳)宅近くで待ち伏せし、家から出てくる女性をじっと見つめていたことで「ストーカー規制法違反」で逮捕された◆男は、この女性を知った数十年前から胸締め付けられるほど好きになり、逮捕されるまで五十回以上にわたりストーカー行為を繰り返した。それにしても、六十八歳の男が「胸締め付けられる…」情熱を抱いていたとは、すごい◆このお爺ちゃんは、警察でどんな取調べ方をされたのだろう。まさか、青二才の刑事あたりが「遠くで眺めた後、何をしようとしたのか!」との、野暮な質問を繰り返したのではないだろうか、心配になってしまった◆恋愛を知らない最近の若者たちは、胸締め付けられる恋心がどんなものか知らないはずだ。いや、そんな邪魔くさい手続きを介せずとも即、出会い系サイトで簡単に異性と出会え、恋愛などの邪魔くさいプロセスを必要としない。そればかりか、初めて出会ったその日のうちに、オスとメスの関係になるカップルも少なくない……。
2008年4月3日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.03.31

<連載コラム>心声天語(4)都会の雑草

 ディスカバリー・チャンネルで「植物に感情がある」という番組をやっていた。一年間、八百七十三軒の家庭に同じ鉢植え(一家庭に3個)を置いたところ、夫婦仲の悪い家庭では、四十三%の鉢植えが枯れた。ところが、夫婦仲の良い家庭は、五%しか枯れなかった◆次の実験では、音楽の流れる部屋で育った植木は音楽のない部屋で育った植木よりも平均して約一・四倍大きく成長、植物に何らかの感情があるとの結果が示された。植物は生物であるからして、生と死のメカニズムに生かされているのはわかる。しかし、植物にも人間と同じような感情があるとは、驚きだ◆真夏、東京のコンクリート・ジャングルを歩いていると、コンクリートの繋ぎめから雑草が生えているのをみる。熱い日差しに照らされた歩道ブロックは、灼熱の地獄だ。しかし、都会の雑草たちは1センチほどの隙間で一生懸命に生きている◆鉢植えの植物に感情があるなら雑草にも感情があるはず。都会の厳しい環境の中で逞しく生き抜いている雑草たちは、都会のコンクリートの間で生まれた運命を恨むこともなく、授けられた運命を懸命に生きている。恵まれた環境でも夫婦仲が悪いといって死んで行く「我侭な植木」がいる反面、炎天下でも健気に生きている雑草たちがいる◆おい~雑草たちよ、この次に生まれてくる時は、澄んだ空気と水が溢れる大草原に生まれ出て、昆虫の仲間たちとおもいきり戯れてくれよな。(和光)
2008年3月31日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.03.27

<連載コラム>心声天語(3)井戸水の話

 最近の世の中、最低限の矜持も倫理観も持ち合わせていない、同情の余地がないと思わずにはいられない事件や疑惑ばかり目立ち過ぎます。まったくというほど、「心潤うようなこと」に出会いません。そこで本紙ではこれから1週間に2回を目処に、このコラムを開始することにしました。人間にとって、最も大切なものは何なのか……。第3回はある村の大きな井戸の話。この村を通る2人の旅人、一人は「この井戸水は冷たい」、もう一人は「いや温かい!」と激しくやりあった、そこにやって来た一人のお坊さんは両者に何かを耳打ち。その真相とは……。
2008年3月27日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.03.26

<連載コラム>心声天語(2)「北風と太陽」

 最近の世の中、最低限の矜持も倫理観も持ち合わせていない、同情の余地がないと思わずにはいられない事件や疑惑ばかり目立ち過ぎます。まったくというほど、「心潤うようなこと」に出会いません。そこで本紙ではこれから1週間に2回を目処に、このコラムを開始することにしました。人間にとって、最も大切なものは何なのか……。読者の方は始め、「?」との印象を持たれるかも知れません。でも、この連載が続けば、そのうちこの行間からきっと何かを感じてもらえることを信じてます。2回目は、イソップ童話の「北風と太陽」の話絡みで。
2008年3月25日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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2008.03.21

<連載コラム>心声天語(1)「葉っぱのフレディー」

 3月も残り少なくなった。いよいよ「春」の実感が伝わってくる季節である。冬が去って春、そして夏が来て秋となり、冬がやってくる。思えば、春夏秋冬に巡る季節ほど、素晴らしいシナリオもない。同じ十五度の気温でも春と秋では感じ方も違い、心に響く情感も異なる◆季節は、地球が二十三・五度傾いているから存在する。しかし、地球が傾いているから季節が存在するのではなく、何かの存在が季節を創り出すために地球を傾けさせた、のではないだろうか。そうでなければ、これほど見事で巧みなシステムを創りだせるはずがない。季節はまさに、生命の巡りを教えてくれるプログラムである◆ベストセラーになった「葉っぱのフレディー」という絵本があった。春に生まれた葉っぱのフレディーが夏に戯れ、秋を謳歌し、冬に死んでいく物語である。そこには、われわれの人生と重なるドラマが映し出されている◆季節に人生を重ねてみると…二十歳までが春、四十歳までが夏、六十歳までが秋、それ以後は冬となり、葉っぱのフレディーと同じように土に還る◆造花は、季節に関係なく咲き誇り、緑や赤に色づけられ華やかなに生きているように見える。しかし、彼らには、なんの表情も、何の感情もない。造花のような無味乾燥な人生を生きるなら、葉っぱのフレディーのように雪の上で安らかに眠りにつく方が幸せである。
2008年3月20日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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