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2008.06.09

<連載コラム>心声天語(23) 「雨ニモマケズ風ニモマケズ…」

「雨ニモマケズ風ニモマケズ…」、日本の近代詩の中でこれほど親しまれた詩もない。この詩は、宮沢賢治が亡くなった後に発表された。一九三三年九月二十一日、賢治が三十七歳で死去した時、遺族が遺品を調べていたときに出てきた手帳に「雨ニモマケズ…」の詩が記されてあった◆賢治は、東京での生活を送った後、故郷の岩手県に帰って農学校の教師となった。翌大正十一年十一月、妹のトシが亡くなった頃から本格的に著作をはじめた。大正十五年には、農学校を辞めて「羅須(らす)地人協会」を設立、農民に対する稲作指導や肥料の相談、情操教育をめざした◆冷害に弱い東北の農民を貧困から救うのは、容易ではなかった。賢治の実弟である宮沢清六によれば、賢治は、毎年八月になると空模様ばかり気にして『困ったなあ。日が出ないかなあ。暑くならないかなあ』、と言っていたそうである。八月は稲の花が咲く時期、この時期に寒かったり、雨が続くと凶作になるからである◆貧困から農民たちを救うことが出来なかった賢治は、挫折感を味わい、一九二八年に過労や粗食により助膜炎などを起こして倒れ、自宅で療養中に書いた詩が「雨ニモマケズ…」であった。日本人の多くは、わずか半世紀前までも「貧困」に喘いでいたのである◆日本は今や、世界有数の経済大国となった。中高生の半分以上が携帯電話を所有し、金さえあれば何でも手に入れることができる。そればかりか、ブランド品に海外旅行と、贅沢を競い合っている。日本の社会が贅沢さに麻痺しているのは、その実、潜在意識に刻まれている貧困を消し去ってしまいたいとの、反動が生じさせた現象かも?しれない。(和光)
2008年6月9日掲載。この記事を見たい方は、本紙改訂有料ネット記事アクセス・ジャーナルへ

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